こうして、(あやま)ちに(あやま)ちと(あやま)ちを

 

 

 

 いつだって、こうなると思っていた―――と。

―――そう、思う。

 そう思うに決まっているのだ。うっかり(つまづ)いた時も、とんだ事故にあった時も、朝一番の用事があるというのに寝過ごした時も、(まった)く例外はない。我が身に実際に降り掛かってくるのが、ただの痛撃(つうげき)なのか、致命傷なのか、あるいは身体的には全く無害な叱責(しっせき)なのかは、単なる確率の問題でしかなく。地面へ転倒した折……それか、包帯に巻かれた身体を見下ろし、寝台に痛苦と共に転がされた後……または、遅刻への批難(ひなん)を受ける覚悟を決めながら……ふとした一瞬ごとに、そのことを確認するしか(なぐさ)めは存在しない。こうなると思っていたんだ、と。

 だからこそ、その次に、続いてしまう言葉が存在する。

 

 

 

(―――短槍(たんそう)―――)

 今更と言えば今更な事柄について、ジグロは己の思考が触れたのを自覚した。

 短槍。カンバル王国において、時として武具以上の意味を帯びることがあるとはいえ、(ふた)を開けてみれば単なる刺突(しとつ)武器(ぶき)にすぎない。言うまでもなく、人類の長い歴史の中で、他者よりも効率的に他者を殺害するために、能力を特化させた道具である。剣に勝る間合いと、剣に勝る投擲(とうてき)精度(せいど)と、剣に勝る重量でもって、剣による脅威を退ける……必要ならば、剣以外の脅威であっても。いわば、この存在は、誇りなのだ―――かざすならば時を誤ってはならず、()び付けば無用の長物と成り、むやみに(すが)るならば肌身を裂く。

他国において通常用いられる(やり)と、カンバルにおける短槍との大きな違いは、その(たけ)であろう。野外で雑兵(ぞうひょう)が敵軍へ突貫(とっかん)する際に、明らかに劣る力量・技量をリーチで拡充するため、身の丈五倍以上という冗談としか思えないような長槍を繰る国もあるという。しかしジグロは今のところ、それ以上の知識を得ていなかったし、調べようともしていなかった―――この事実は、彼を知る者たちからすれば、驚きだったはずだ。彼は王都に迎えられてからもすこぶる優秀であったし、その優秀さに水を差すような浮いた噂を流すことも、一度たりとてなかったのだから。

まあ、彼を優秀と評する者がいないとしても、浮名のない堅物(かたぶつ)ということと(から)めて皮肉る者がいるよりは、よほど害はなかっただろうが……

ともかく。彼がそのことを調べる気になれなかったのは、他国よりも、自国の方にそうすべき時を逃す気になれなかったからだった―――すなわち今この時に、自分にとって短槍が単なる刺突武器以上の存在であり、自分にとってカンバル王国が単なる国家以上の存在であるとの自覚を深めることができたならば、いかな他国がどのような武器を振るうとて、迎え撃つことができるという意志の裏づけだった。

 いやむしろ、それらの存在の意味によっては、己の意味まで変質してしまうのではないか? そう思わないこともない。

と、しても―――

 その頃には、敵はきっちりとみぞおちをこちらの石突に打ち抜かれ、凶器である短槍を取りこぼして地面に卒倒していた。

息をつく―――が、それは安堵(あんど)の為ではなく、警戒の継続に必要な酸素を得んが為である。この敵に急襲された時、自分は確かに油断していた。認めるしかない。おかげで、たった一人だけの刺客に後れを取ることとなった。

戦闘を逆算するごとに理性によって欠点を指摘され、ジグロはじわりと奥歯をかんだ。この恥を(そそ)ぐことなど、生涯をもってしても不可能ではあろう―――自分が一生を<王の槍>として尽くすと誓っている身ならば当然のことだ―――が、ここから更に、恥を上塗りすることは避けなければならない。つまりは、勝利の油断を逆手(さかて)に取られるようなことがあってはならない。

ジグロは気を抜かずに、敵を()めつけていた。慢心は容易に敗北の母となる……

夜。王城での勤めを終えた帰り道、家並と家並の空隙(くうげき)に差し掛かったところを狙われた。ひとりで向かってきたのも納得できるその手並みといい、敵は相当の使い手である―――これは羞恥(しゅうち)(しん)への言い訳ではないということを確認するように、そうひとりごちてから、ジグロはさらに続けた。

(この差し金の発端は? 宮中での面倒ごとか、宮中を取り巻く面倒ごとか、……あるいは、宮中を取り巻いているつもりの連中の面倒ごとか)

 筋違いなやっかみを受けることは慣れたことだ―――そして同時に、思い知らざるを得ない。慣れたことだ、が、慣れるはずもない。

視線を逸らさぬまま、聴覚に意識を傾ける。自分の立つ裏通りからその反対、表にある建物群の向こうの方まで。夜半を迎え、店も大半が失せた露天街に流れる人間の喧噪(けんそう)は、虫の()と同種のささやかさだった。時に高まり、時に()えはするものの、こちらへ近づいてくることはない。

また、こちらの音が、あちらへ近づくこともない。

()えた夜気は、敵との交錯(こうさく)から、とうに静寂を回復させ終わっていた。()(やみ)(ひた)しきれない唯一の光源に対して、ゆるゆると歩み寄ろうとしては失敗している―――その、通りの端の地面に適当に放置してある棒つきの()(ちょう)(ちん)(先ほど自分が置き去りにしたものだ)はそのままに、ジグロは敵へと歩み寄っていった。

その途中で、道に転げ落ちていた敵の短槍を、適当な方向へ蹴飛(けと)ばす。それはあっという間に、なすすべもなく闇へと失せた。穂先が一度だけ光をまぶしく反射させたのは、ジグロを(ほふ)り損ねた刃の最後の主張だったように思えた。短槍―――

(……短槍使い)

 自覚を重ねるにつれて、胸奥を(いら)(くさ)()でてくるのを感じる―――(まぎ)れもない、それは不快感だった。

敵に対して敵意を抱くことはあるにせよ、不快を感じることがあるなど、予想もしていなかった。二十一歳。青二才とは言え、敵には敵対するに足る理由があると、理解できない年齢ではないではないか? ―――いや。

年齢どおりに考えれば青二才ではないか。矛盾に苦笑も浮かばず、ジグロは不快感の大元を見定めた。敵。短槍使いの敵。この、ムサ氏族がジグロと同じ短槍使いの、敵。

(違う)

 断言する。

(同じではない)

 断言を()ぐ。

(わたしは短槍を離しはしない―――(すが)れば、この身を裂くとしても)

 敵が動いた。

 刹那(せつな)、ジグロはそちらへ向けてつま先を踏み込ませた。この期を待っていた。みぞおちへ放った痛打に確実な感触がなかったため、完璧に気絶させる追撃を与えねば、この者を連行する為の人員を呼びにいくこともできない―――が、敵が、気絶した演技に(だま)されたこちらが、捕縛のために油断した動作を取るのを狙っている可能性も無視できない。どっち付かずの状況に終止符を打つ、この期を待っていた!

 が、

(なんだと―――!?)

 実際に終止符をうったのは、敵が動いたことそれ自体ではなく、それに続いた予期せぬ衝撃だった……己の、中からの。

そうなってしまえば、間合いに踏み込むべき脚線(きゃくせん)が止まってしまった違和感と、攻撃の為に練っていた呼吸が途絶する痛みと―――その二つの与えたショックしか、自覚できるものは残っていない。再沸騰させかけていた戦闘の余韻がじくじくと(むしば)んでくる体を持て余しながら、彼はただ立ち尽くして、敵が起き上がるのを見つめていた。

 敵、の

「…………」

 名を呼ぼうとして、―――あまりの馬鹿馬鹿しさに、結局その意気も()せてしまう。生まれてからこれまでの付き合いの中で、とうに名前など呼ばずとも意思疎通を図れるようになっている、馴染(なじ)みの友人である。

友人。それを疑うことすら許されない、間髪入れぬ間に。地面に尻餅をついた格好で、相手がへらりと軽薄に片手を上げてみせた。もう片手でみぞおちを押さえたまま。

「よぉ」

「……よ、お?」

 思わず鸚鵡(おうむ)返しに口を開閉してしまってから、幾程の時があったか―――相手は、場を(まぎ)らわせてしまう為の愛想笑いでもしようとしたのだろう。しかし、不意にぶりかえった痛撃にはらわたを一撃されたらしい。あらわではないにしても、顔面の(つく)りを充分に()(もん)の形に(よじ)って、投げやりにつぶやいてくる。

「っててて……やっぱ負けるか。まあ、こんなもんだよなあ」

「なんなんだ、一体」

 ただひたすらに、ジグロは(うめ)いた。自分でもその声音を耳にして、一生涯のうちで今このときほど正直な自分もいるまいとすら思えてくるが。

 そして、両者の沈黙に、いったん取りこぼしてしまった緊張と警戒が再度頭をもたげる直前、相手によって会話が継がれた。

「お前昼間、ログサム殿下とやりあっただろ」

「ああ。彼の価値観と、王座の条件として必要とされる価値観との相違点について、意見させていただいた」

 即答する―――理解できない状況のなかで、理解できる質問が出てきたことに飛びついたような感覚は、自分で言っていて気に食わなかったが。とにかく、昼間の出来事が事実として実在し、それを相手に知られている以上、当事者が認めないのは(おろ)というものだ。

 が、相手はそうは思わなかったらしい。のろのろと、不安定な動作で立ち上がって―――もとより愛想がいいとは言えない自分とは真逆の性格といえる相手のはずだが、それをもってしてもフォローしきれないものがあるらしく、ついぞ見たことのないような(しぶ)い面構えにため息まで付け加えてくる。

「成る程な。その返事。殿下が、ちょっとした腹いせを遮二無二(しゃにむに)命じられる程度に、お怒りになるわけだ」

「殿下―――ログサム殿下か?」

 確認は、表面的なものに過ぎなかった……あるいは、社交辞令的な。それでも、声半ばにして、(むな)しく確信してしまったこちらに対する愛想なのだろう。相手は、肯定を表現するには充分な目配せをよこしてくる。

 思うに、このやり取りの全てが無意味だという現実を知るのは簡単であったし、それゆえに、大した手間も時間もかからなかった。が、だからといってこちらからそれを投げ出してやる義理もないと知るのは、もう数秒を要した。更に、義理は現実より難しいとの結論を得るまでは、また幾らかを浪費した。それはそうだろう。現実を土壌(どじょう)にして義理が生まれるのだから、思いついてしまえば、全てが当たり前のことだった。

言う。

「俺は臣下として、殿下が王位継承権保持者という器量に見合うご成長をなされるよう、尽力しているつもりだ」

「そんなこと分かってるさ。殿下のみならず、誰もかも」

 と。

 相手は、私情の欠けた声音でもって、あたかも私見であるかのようなせりふを口にする―――つまりは、これも義理ということか。続ける。

「俺は成人している。王に仕えているという自負もある。この尽くし方に至らぬ箇所があるならば、指摘の一言で受け入れよう」

「ああ。それこそ、分かってる。殿下のみならず、誰もかも」

「ならば、何故こういった帰結を辿(たど)る?」

「武人じゃないからだろうな」

 ジグロは、それに、返事を続けようとした。が、できなかった。

 義理ではないということかもしれない。

 それが、続く。

「殿下のみならず、誰もかもが―――」

「お前もか?」

 思わずジグロは発していた。

 そして、発し終えた。

 らしくもない。ジグロは、冷めた動揺を浮かべる内心ともども、今先出した己の言葉を思い返した。それはあまりに短く、自分でさえ、どういった意図を込めて相手へ告げたのか分からない。皮肉、はらいせ、失望、……誤解? 勘違い? 何であるとも言えるし、何でもないとも言える。なぜならばその声は、吟味(ぎんみ)すべき自分の声帯からとうに失われてしまったのだから。だとすれば。

 だとすれば、その小声を受け取った相手は、どのようなものとしてそれを受容したのか。

友人はふと、短槍を失っている空手を胸の前で広げ、その指先へと視線を触れさせた。その一瞥(いちべつ)が見通していたのは、己が指紋(しもん)ではあるまい。何もない両手に、指紋以外の何かが見えるとも思えなかったが、彼は確かに見詰めていた。

 一拍―――確かに存在した、その空隙(くうげき)。それが、何によって埋められたのか、分かりはしない。友は解答をこちらに渡そうとせず、起立したままで上肢を動かしただけだった。左右に開くように。そして。

 肩を、すくめてみせた。常にそうあるように。

「なあジグロ。もしもまた、こんなことがあったら、」

 と、告げてくる。

「ちゃんと殺せよ、俺のこと」

 友、の―――

 顔の表皮に入った切れ目がそれだけの文章をこぼすうちに、見せた、微妙な変形。(りき)んではいない……むしろ、目元から(ほお)までを緩慢に脱力させたその輪郭は、笑顔に近かったのかもしれない。そのせいだろう。(いか)つさの薄れた(まゆ)、のっぺりとした(あご)。力の失せた皮は、まるで……

まるで、決定的ななにかに降参したようだ。躊躇(ためら)いながら、その印象を、()む。その時、相手の瞳に灯明(とうみょう)ごと写りこんだ自分の顔を見ることが出来たなら、それは落とし穴に落ちた瞬間と同じだったかもしれない。自分は確かに、その一瞬にさらされた身であるはずなのに、その一瞬が流れ去るまでは自覚することもできない。ひどく間が抜けている姿かたちで……

 間抜け。心に浮かんだ客観にはっとして、ジグロは自制を持ち直した。

 ならば、次に発した自身のその言葉に、(ぎょ)したはずの感情が多分に感じられたのはなぜなのか? ―――

 こころにひびでも入ったのかもしれない。

と、しても―――

「それが、誰もが、短槍を手にした上での事ならば」

 亀裂(きれつ)を深める可能性のある(ささや)きを、それでも彼は、己から友人へと届けた。

 

 

 

 こうなると、

おもって

いたん

 無力に、無力に繰り返し。

そして 年後。こうしてジグロは短槍の向こうに、光景さえあの時と同じものを繰り返している。

 王を毒殺した医者の娘を連れて逃げた裏切り者を討つための刺客は、短槍を構える所作だけは古馴染みの頃からの(くせ)が抜けないまま、彼の眼前に存在していた。

 

 

 

 いつだって、こうなると思っていた―――と。

―――そう、思う。

そう思うに決まっているのだ。ありとあらゆる単なる確率の気まぐれがもたらした不遇を(なぐさ)める、その(ささや)は、今もそうして存在している。こうなると思っていたんだ、と。

 だからこそ、こう続けざるをえない人間の醜態を、誰が責めよう?

こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃなかったんだ、と―――