夜空には三日月。狂った女の半笑い、それを彩る歯列のような。
今更になって酷くなる瘧の如き震えに、伴侶たる短槍さえ指から零れ落ちそうになる。それでも必死に立位だけは保ち、ジグロは激しく高ぶる呼吸を胸郭に無理やり押し込めながら、その穂先を見詰めた。そこは、今先に友人の心の臓を貫いた悔恨に涙するように、真っ赤に雫を垂らしている。
あるいは、更なる流血をと雄叫ぶ欲求を代弁する、赤き垂涎のように。
どちらにせよ大差ない。切り捨てるべき妄想に過ぎない。ジグロは改めて、槍の先端へ向けて目を凝らした。
月光を受けて妖艶に光る。刃はただ、肉を求めて疾駆するに優秀であるに過ぎない。過去の時代から連綿とそうであった様に、悔いも餓えも知らず、ひたすらに使用者の殺意を代行すべく優秀であり続ける。筋を断つ鋭さと、骨を削る屈強さと、突き出せば容易には覆しえぬ柄の撓りと―――あるいはその全てが、使用者が迷い、人殺しの意志を変えてしまわぬうちに、対象の命脈を確実に断絶させる為に在る。
身体が竦む。傷だ。
痛みだ。
これが、癒えゆく業だ。
生者の高慢として、その苦痛を甘んじて受けるしかない。痛覚神経ごと死に逝った死者を目の前にしての断罪がこの痛苦であるとするならば、これほど相手を愚弄するものもあるまい……と感じるのは、これもまた、こうして生きながらえてしまっている自分の傲慢ゆえにだろうが。
出血。血。確かにそれは、今ここで脈打つそれと同じであるはずなのに、流れ出してはただ醜く乾いて冷えていく。汗。それも同じ。湧き出しては余韻ばかり長く、さりとて愛撫にしては、慰められるにはひたすら足りない。ならば、……声。声は―――?
が、
「……―――」
ジグロは、ただ一言を囁くことさえできなかった。言おうとしたその死者の名前が、ほんの簡単な発音であることは知りつくしている。
ただ、過去に友愛と尊敬を込めてその名を呼んでいた分、今この時にあたって、どんな風に喉を震わせればいいのか分からない。
ならば、体温は? 今しがた、この手が倒れ伏せさせた友。その肋骨へと、へたり込むようにして蹲る。鼓動は既に失われていた。呼吸など検める必要もない。流血は残酷なまでに乾燥しかけて糸を引き、汗など、とうにこの指紋の凹凸にすら微塵も感じられぬ。
無様に死体をかき抱いて、ジグロはただひたすらに慰みを求めている。
三日月は夜に彼を嗤う。
なんと無念なことであろうか! 三日月よ、それがまさしく狂い女の嘲笑であったならば、その釣りあがった口角より、彼に教えもしただろうに―――狂っているのは貴様であるぞ、と! ああ愚か者、愚か者! 誇りの先まで痴れ尽くし、友の血屠って永らえて、日々いぎたなく呼吸する! 醜悪極まるその姿、さもありなんとするならば、誰も貴様を許すまい!
だが、三日月ゆえに、夜に彼を嗤うだけ。
夜。
穏やかな夜気だった。かすかな慟哭さえ許しもしない。
優しげな夜風だった。わずかな血臭さえ散らしもしない。
静かな夜空だった。気まぐれな天罰さえ降りもしない。
「……―――」
人語を捨てて、声を告げ―――
彼はただ落涙の毎、生きゆくことを、証した。